Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

4月の中の人

 客が酩酊状態であることが多いからかもしれないけれど、深夜のタクシー運転手は極めて常識的というか、いろんなところを心得ていて感心してしまう。あの娘がむにゃむにゃと口にした行き先をしっかりと聞いていてそこに当たり前のように連れて行ってくれる。動き出した車内にはエンジン音と寝息のようなもの、そして心臓の音だけが聞こえている。流れる風景を見ながら、肩を寄せて、手を握り、僕は何を考えていたのだろうか。「お連れさん」を送り届けて、車内に戻る。どっちが「連れ」なんだかとか思いながら、部屋の最寄駅を告げる。少し歩きたい気分だった。これでふたつき連続で明け方を歩きながら1か月が始まった。
 
 
 長く過ごした場所とのお別れが迫っていて、それに急かされて普段だったら言わないようなこととかしないようなことをたくさんして、でもそれはきっと本当に言いたかったことやしたかったことの一端なのではと思った。それでも現実から目を背けるかのように集中力は薄弱で、眠りもとにかく浅かった。毎日のようにあいさつに訪れる人がいて、そのたびに色んな事を考えたのだけれども、この挨拶をされている存在は僕ではないなという確かな実感があった。僕としては与えるよりも多く奪ってしまったような感覚をずっと持ち続けているのだから。ゆえにそのギャップに軽いめまいを覚えてしまう。それでも言葉を字面通り受け取らないようなことばかり繰り返してきたから、割とすぐに平衡感覚は取り戻せた。はずだった。その後、2重に蓄積の恐ろしさを感じることになるのだった。
 
 
 そう、最後の日にはもう何年も顔を見ていなかった人まで会いに来てくれたりメッセージ・たくさんの贈り物までくれたりして、そのとき初めて別れ難さを自覚したのだった。思い出はなるべく作らないようにしたかったのに―でもこれはやはり自分とは別に作り上げた存在の大きさがなしたことであって、と思うと涙までは出なかった。ある種の喧騒が去った後、簡単に後片付けをして友人に連れ出される。ああでもこうでもないと話しながら気づけば太陽が目を開ける時間。街の中へ放たれながら、今を生きたいと改めて思った。そんな4月だった。