読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

ストーナー / ジョン・ウィリアムズ

さ行

ストーナー

ストーナー

 
これは人生だと思った。

 たまさかこの名前に接した学生は、ウィリアム・ストーナーとは何者かと首をかしげるぐらいはするだろうが、その関心があえかな水泡以上の大きさにふくらむことはきわめて希だ。生前からことさら故人に敬意を払っていなかった同僚たちが、今ストーナーを話題にすることはめったにない。年長者にとってその名は、諸人を待ち受ける終わりの日の標であり、若年の者たちにとっては、過去のいかなる感覚も、また、自分自身もしくは自分の履歴と響き合ういかなる美質も呼び起こさぬ、単なる音の連なりに過ぎない。

最後まで読み通してから冒頭部のこの部分を読み返して、悲しいような、それでいて幸福なような気持ちになった。特に何が起きるわけではない、些細な出来事の集積。その何でもなさは、それでも当人にとってはどうだろうか。そう、何者でもない僕らの人生もそういうもののように思える。
 
いつからか抜き差しならなくなった人々の物語を好むようになった。おそらく客観的にはとりたてて大きなことは何も起きていない、だがその只中にある人間にとってはそれは好悪に限らず、可能性だらけの世界であり、ゆえに何もできなくなってしまう。それでもそうした世界に大きな不満があるわけではなく、憂鬱な満足感を覚えて暮らしていく…それは紛れもなく僕自身がそうであり、そういう人生を肯定する材料は、自分自身であるいはそういう日々を同じように過ごしているという誰かの記録でもって補うしかなかったのだから。
 
人は往々にしてあの時こうしていればとかもっと違った歩みがあったのではないだろうかなどと考えてしまうものだ。この物語の主人公である大学助教授、ウィリアム・ストーナーは、人生の様々な選択の場面において降りかかるもろもろの、全てを我慢強く受容する。いや…我慢や忍耐ともまた違っていたのかもしれない。彼は様々なことをもっと静かに受け入れていたように思う。それでもただ流されるだけというわけでもなく、そこに自身の生を行く、という確かな意志が感じられる。読後に静かな感動を呼び起こすのは、この意志の力だ。
 
死の間際、彼は何を期待していたのだろうかと自らに問いかけるが、それは後悔から発せられる類のものではなく、真理探究のそれと意匠を共にしている。いうなればそれは希望のようなものでもあるだろう。
 
 
決して雄弁ではない本人を、周囲の状況を繊細に描写することでその深淵までをも浮かび上がらせる。これは翻訳の成功によるところも大きい。美しく、静かで物悲しく幸福な一人の男の物語。そしてこれは多くの何者でもない人々のための物語でもある。