Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

すきまがない

▼会計を待っている間、誰かの視線を感じて顔を回すと、ポスター広告の中の女性と目があった。そのタレントと思しき女性が誰なのか、そして何のポスター広告なのかも分からなかった。青を基調としていたからさわやかさを押し出したい何かなのだろうとは思ったが。ふとレジカウンターに視線を戻せば、狭い範囲にも広告やお知らせの類が貼ってあり、渡されたレシートの下部にも広告が印刷されていた。


▼店の外に出れば客引きがいて、店やクリニックを示す看板とは別の広告看板があり、電車の中には中づり、窓上、ドア横。駅の壁面、ティッシュの裏。買い物かごの中に動画再生の冒頭、ウェブページのあちらこちら、記事そのもの。家に帰れば安心かと思えば郵便受けには大量のDM、チラシ。テレビのCMカット機能とは何だったのか。気がつけば、世の中には広告がたくさんだ。昔からそうだったといえばそうかもしれないが。


▼余白や隙間のようなものは大切だ。脳を休ませてあげたい、心を穏やかにしてあげたいとそう思う。広告の多くはうるさいのだ。文字も音も、色彩も。


▼音楽もそうだ。音数が比較的少なくて音と音の隙間が「聞こえる」音楽が好みだ。もちろん、シューゲイザーとかもきらいじゃないが、あれは感情を強要しない音楽だからだ。あの音の壁は虚無に近く、ゆえに轟音でも静寂だ。ストリングスやハイファイな加工で隙間を埋めてしまうのは、広告が僕らの生活を覆い尽くして判断や決断を迫るのとおんなじで、感情を喚起させようと必死にアプローチを受け続けているようで気分のいいものではない。とにかく僕は、静かに暮らしたい。
 
 
◆広告の無言のわめき流し終え眠る時分はすわ自由意志