Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

2015年10月21日の断片日記

▼話す言葉と書く言葉は違っているなと思って、そこから電子の言葉はどちらなのかとか考えた。書いてはいるけど、話してもいる。


▼それは対象が眼前にあるかないかとか、対象が特定されているか不特定かとか、そういう要素に影響を受けていそう。な気がした。話す言葉と書く言葉が違っているのではなくて、君に使う言葉とあなたに使う言葉と、みんなに使う言葉と…という感じでそれぞれが違っているという話なのかな。冒頭の疑問、正確には「特定のあなたに届けられる電子の言葉」であって、「それを自分は話す言葉と書く言葉のどちらに位置付けているのだろう」と思ったからなのだけれども、書く/話すではなく対象と状況によってすみわけられてますよ、という話ならばわりと素直に理解ができる。ようだった。
 
 
▼そう考えると「話し言葉・書き言葉」と「話す言葉・書く言葉」て全然違う概念だ。
 
 
▼話を戻して。言わないことで何かを言う、まとう、というやり方を積極的に選択していたころがあったのだけれども、それは正確には選択していたのではなくてそうせざるをえなかっただけのことのようだった。選択したと、まとえているんだと思い込むことで何とか自分をるというやり方。言葉は口(や文字)にしなければ伝わらないことはどこかで分かっていたのに。でもポーズをとることでバランスがとれていたのであればそれはそれで正解だったのだと思う。言わなければいけないと焦って語り過ぎてしまうことを悩んだり、それでも言えなくてもやもやしたりするくらいなら、自分の姿勢を保つということを優先して考えてもよいだろう。ん…書いているうちにそっちにいってしまったが、そういうことが言いたかったわけではなくて、本当は言おうか言わまいかと逡巡したときに、言わなきゃ伝わらないでしょ!と背中を押してしまう乱暴さが最近目立ってきて、これってどうやら何らかの焦りの裏返しなのでは?と気づいてとても嫌な気持ちになりましたという話がしたかった。のだった。それで、そういうのって話すときと書くときとでどっちが出やすいのかなと振り返ってみたら、確実に話すときの方が多かったのだけれども、今回この事の入口にあったのが「あなたへと送信される」類のフォーマット上の言葉だったものだから、はてこれは「話す言葉なの?書く言葉なの?」と疑問がわいてきて、冒頭。よかった書きながら戻ってこれた。
 
 
▼全体的に、大事にしてきた情緒めいたものが関係性に破壊されていっている感はある。これが大人になるということだったり社会性を身につけるとかいうことの一面なのだろうけど、そういうものに抗う力がすこしずつしぼんでいくのも年齢を重ねていくことが連れてきてしまうことなのだろう。そのことが良いか悪いかの判断はもっとあとになってからするべきことだが、とりあえず現段階ではよい気分でないことだけは確かだ。