Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

2015年9月27日の断片日記

▼仕事での移動中、いきなり10代の子に声をかけられた。学校の課題で街頭アンケートを取っているのだということが瞬時に判断できたので快諾した。その時の相手の顔と言ったら!きっと意を決してだったんだろうなあ。まじめに(実にまじめに!)回答しながら2、3言葉を交わし、最後にねぎらいの言葉をかけると、深々とお辞儀をして仲間のもとに走り去って行った。
 
 
▼このご時世、知らない人に声をかけるというのはなかなか難儀なことだ。ゆえに慎重に相手を選ばなければならないが、視覚的な情報でしか判断ができない。身なり、表情、帯びている空気…。敏感な人間を相手にするとき以外は前2つを装うことはそれほど難しいことではない。しかし10代の子たち(の時折見せる慧眼を甘く見ているわけではないが)にそれを見抜くのは容易ではなかろう。いやでも「大人」を意識して「みる」世代の方がその辺は敏感かも…感覚と経験はどちらが判断を明晰にするのか。到達点は感覚の方が高いが、平均点は経験の方が高い。そんなイメージだ。それはさておき、幸いにして僕は普段から彼女らのような年代を相手にしているので、声をかけるには申し分のない存在だったわけで。その点において彼女の判断は正しかったことになる。果たしてどの要素で「アイツならひどいことにならない!」と判断されたのかは知らないが。どうせ呆けた顔してたんだろうなあ。
 
 
▼あるいはここ数日、内心ひどく不機嫌であることも関係しているかもしれない。不機嫌な時ほど人あたりをていねいにしようと心がけているからだ。それから紳士的なふるまいをすることを面白がってる向きもある。演じることはある意味では自分をコントロールすることだから、この前の日記じゃないけどうまくいったのかそうでないのかみたいなことも判断しやすくて、好んでいるところはあるだろう。


▼ただ…群衆の中にうまく紛れていたはずなのに、個として取り上げられてしまったことに対する動揺に近いものはある。少なくともあの時間だけは、確実に誰かの記憶に残ってしまったのだから。それは日常のなかで関係を築かざるを得ない間柄においてのそれとはまったく趣が異なる。もちろん既にその記憶も消え失せてしまっている(僕も相手の顔を全く思い出せない)ことは承知の上で、それでもなお。