Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

2015年3月14日の断片日記

▼仕事のついでに立ち寄る。そう、ここは大型ショッピングセンター。結局は、規模の違いだけで僕が憎んだあの郊外の景色とほとんど何も変わらない。
 
 
▼なんでもあるというのは逆にそこに僕の欲する「理由」は何もないのだということを際立たせてしまう。歩いても歩いても道や階の先があるだけだ。そしてその中にあって僕は虚飾にまみれた空虚な表情を規則正しく見るだけで、何かに目を奪われることも思い煩うこともない。ある意味では平穏なことだろう。退屈だが、外はいつだってそうなのだ。
 
 
▼仕事を終え帰路につく。暖かさよりも何よりも、風の強さで春の足音を認識する。駅のホームには大企業の何かを持った就活生らしき集団だ。僕があの立場だったのはもう何年も前の話だ。僕もあそこまで就活生に見えていたのだろうか。全くそうは思えないのだが、きっと僕もうまくやりおおせていたのだろう。
 
 
▼乗り合わせた女性(年のころは僕と同じかもう少し上だろうか。僕よりもよほどしっかりとした人に見える)が視界に入り、なんとなく考えてしまった。この人が、僕の人生において存在していないということを。向こうから見れば僕がそうだろう。だが、何かのきっかけで知り合うことになり、自分の世界の居住者として彼女(彼)が入りこんできた途端に、存在が始まる。昨日までも、ずっとそこにいたのに。ああ、見ればそうなる。見なければそこは真っ暗だ…。
 
 
▼スライムやおおがらすの生活圏(生息圏?)に無遠慮にずかずかと入り込んでおきながら「スライムがあらわれた!」とな。「あらわれた」とは何事か。あらわれたのは勇者様ご一行の方で、僕らはずっとここにおったわけです。昔からあらわれていて、もうずっとそこに、あったわけです。というのと同じような話だ(たぶん違うぞ)
 

▼それでも僕はやはり、知りあわないこと、他人がたくさんいること、他人を他人と認識できることに喜びを感じる。つながり過ぎはよくない。世の中には他人がたくさんいるんだということをもう少し真剣にとらえる必要があると思うし、なんだったらそのことをもっと愛してほしいと考えている。そして僕にそのことを思い出させた彼女。外見的な特徴はもはやぼんやりしているが(最近記憶力がとみに落ちている)、考えさせるひと、思わせるひと。そういうひとを、僕は「魅力的なひと」と呼びたいと思うのだった。