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Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

どこにも行けないのなら、ここで全てを。

音楽

僕はまだ彼らをPavementと重ね合わせて聞き続けている。それくらい「GET BACK」のインパクトは大きかったし、「なんだかやれそう」に導かれる『たからじま』は、斜めになりながらまっすぐ行く、あの平衡感覚の最たるものだったからだ。

AFTER HOURS

AFTER HOURS

 
今作。幕開け「FENCE」から、GET BACK的な、あるいはPavementの「Summer Babe」を想起するルーズなグルーヴが聞こえる。これは本気だ…!それでいて全体に漂うメロウさは、『Brighten The Corners』のようだ。でも、もっとタイトなアンサンブルと丁寧なミックスがそこにはある。タイトなアンサンブル!そう、性急さと気怠さを縦横無尽に行き来するビートは彼らの魅力の一つだが、「GET BACK」のころからそこには説得力があった。それはPavementが放っていたドタバタがドタバタでなければならなかったのと根っこの部分では一緒だ。


描かれるのは都市の日常、当たり前のすれ違いと上がり切らない体温、そしてちょっぴりの寂寥と満足感だ。そうした日常の機微からは、示唆に富んだカットをさまざまに味わうことができる。たとえば「SUNDAY」からは、幸せになることは、何かを捨てることであり、少しだけ怖いことなんだということを再認識させられる。「君もまだもしかして失うこと怖いって思うのかい」。でも「しょげないで どうせすぐ ちょうどいい感じになるよ」と強がって見せるが「僕はただこのままでいれるならいいんだって思うのさ」と幸せ前夜の足がすくむ思いを丁寧に描いている。「君"も"まだ」だもんね。


山内マリコは傑作『ここは退屈迎えに来て』において地方都市の擦れ違いとしがらみをグロテスクに描き出した。物語としてはそれが正しい。ここでもどこにも行けない彼らが描かれる。でもどうだい、この風通しの良さ。それはつまり、改札を出たり入ったりするようなこととも異なるアングルが、愛をもって注ぎ込まれていることを意味する。技法として3人称に視点を移したことが功を奏しているのだろう。そして僕らはこれらを懲りもせず僕らのストーリーとして受容する。仕事のことを思い出しても忘れたフリもするし、いろんなことを後回しにしたりもする。それらをスミス的な耽美さの残る音像でコーティングする様は、さながらどうしようもない日々の切れ端に光を見出し、誇りと尊厳を大事にする若き僕らそのもののようではないか。


前作を評して僕は

この余裕のない国で、どこまで何でもないことを是とし続けることができるか。ここからのドキュメントは、きっとユースの革命のその記録と意匠をともにすることになるだろう。だが彼らは斜めのまままっすぐ進む、あの平衡感覚を保ちながらこう言うだろう。「放っておいてくれよ」と。

なんて語っている。
それは今作全体に漂う別にどうでもいいじゃんなアティチュードに通じる。仮に「らしさ」というものが存在するならばその部分がそれに当たるだろう。
 
キュートな先行シングル「MODELS」の何もないのに全てがある感。愛を裁くことで何かが疼く裁判官、落ち着いたら猫を飼い、観葉植物を買おうと相談する2人(でも今日はLay Downなのだ!)…僕が彼らの音楽を愛する理由はまだまだたくさんあるんだ。
 

シャムキャッツ - MODELS - YouTube