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わーうぃーぞーうぃー!

spoon. (スプーン) 2012年 12月号 [雑誌]spoon. (スプーン) 2012年 12月号 [雑誌]

角川グループパブリッシング 2012-10-27
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tumblrで画像を収集するだけでは飽き足らず、玉城ティナ嬢を追うためバックナンバーを購入。ついにトーキョー資本下でのカバーガールということで、さあいよいよだなという感じなのだが、それにしても彼女のアイコンとしての魅力にはすさまじいものがあるなと再認識させられた次第である。本誌ではクラウドガールズと称し、90年代生まれの女子がシーンを更新していくとされており、「自分探しをしない」などの定義づけがなされている。それそのものはとても快いことだと思う。

92年生まれ、特集でもインタビューに答えているマエダエマは語る。

「90年代生まれ女子は、どっかで人は生きて死ぬだけじゃんって思ってて、幻想を持たないんだと思います。自我の問題で苦しむっていうことはあまりなくて、3次元でも自分のアバターを作るみたいな感じで早く自分の軸を決めようって思っているような」

この相対主義的にサヴァイヴする感覚は非常によく分かって、80年代後半生まれであるところの(性別こそ違うが)僕にもその変遷・潮流が手に取るように理解することができる。ただ僕の場合はメメント・モリが根底にありながら、だとしたら世界とは何なんだ?に躓いてしまったので、いろいろと面倒なことになっているのだが。


個人的には、インターネットの影響で文化的にフラットになってきたとはいえ、90年代を肌で通過したか否かでまた分かれるかなという印象があるので、90年代前半と後半生まれではネットデフォルト世代としてはまた乖離があるのではないかなという思いがある。98年生まれのガールをよく知っているが、ローティーンの頃の僕との間にあるその断絶は、決して浅くはない。92年生まれのガールとはそこまで深くはない。だが、彼女がハイティーンになってからのそれは直視できないレベルだ。恐るべき2000年代。あるいは僕が時代に背を向け過ぎただけかもしれないが。


いずれにせよ、玉城ティナである。20ページに及ぶカバーストーリーからは、写真だけで語られる何かがある。彼女の登場は、本当に久しぶりに衝撃なのだ。かつてスーパーカーは「愛の歌が 愛を歌うだけで 間に合うなら…」と言っていた。全くその通りだし、同時にそうあるべきだとも思っていたから、昨今のモテに回帰し始めたシーンの流れに苦々しい思いを抱かずにはいられなかった。モデルはモデルとしてあってほしい、思想を着て、そのファッションで、我々の内なる世界の扉を叩いてほしいとそう願い続けている僕にとって、彼女によって更新される世界は心からの歓迎に値するものだろう。空虚なカワイイの時代におやすみ。そうさハレルヤ!あとは僕らがどれだけ悩み続けられるかだ。