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Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

1883年から未来へ。

20世紀

20世紀


非常に豊かな小説であった。

 
1883年に刊行されたこの作品が20世紀、ひいてはその後の世界のあり様を荒唐無稽な夢想として描くのではなく、恐ろしいまでの一致性を見せていることにはただただ驚くしかない。

 
物語には様々なガジェットが登場する。チューブにせよテレフォグラフにせよ心躍るものではあるが、一貫してブルジョワの「日常」にフォーカスして描かれている点が個人的に豊かさを感じる源泉である。

 
女性の社会進出、資本主義への傾倒、空間と距離を形骸化させるシステム…暮らしや技術がガジェットの発明によってどうなるかというよりは、そんな未来を我々がどう生きるのかといった主題を、風刺画家、そしてラ・カリカチュールの編集長というキャリアに対するステレオタイプ的な見方から少しだけずらすようなあっけらかんとした「笑い」でもって切り取るスタイルに非常に好感を覚えた。一方で、エレーヌの迷走からは自分探しの地獄(といってもエレーヌのそれはとてもポップなものであったが)を、テレフォグラフなどが登場人物たちにもたらしている恩恵からは、インターネット=世界への扉という希望そのものだった(そして今やそれは霞んでしまった)その姿を思い、少しばかり感傷的になってしまった。もちろんそれは僕自身の世界認識の問題であって、基本的にはロビダ自身の挿絵と、朝比奈氏の翻訳が500ページを超える愉しい時間を演出してくれた。博愛主義への皮肉とバリケード博覧会の場面がフェイバリットだ。

 
時々僕らの生活が覗かれているようなある種ぞっとするような光景がそこには描写されているが、全体を包み込むのはあくまでもポップな空気感。僕はそこに希望のなんたるかをみる。そう、この書で展開されるもののうち実現されたいくつかの未来は、今僕を追い詰める憂鬱な現実に他ならないのに!

 
その後の著作も含め、彼の諸作が単なる夢想で終わらなかった理由は、ロビダの視座が過去に向いていたことが大きかったのだろう(彼は歴史研究家でもあった)。未来が消失した21世紀の僕らは、ここから何を学ぶことができるだろうか。