Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

我らがジャックス1967年の金字塔、『ジャックスの世界』を聴きながら「過去の回収」という生き方の正しさを再認識している。

「信じたいために 親も恋人をも 全てあらゆる大きなものを疑うのだ!」


まさに、である。

ジャックスを聴いて心酔するのが青春時代であり、思春期であり、モラトリアムであると思っている。だが、彼らの僕にとっての影響力はそこにとどまるものではない。

何を好むかよりも何を忌避するかを知る方が、僕はその人の本質に近づけると思っている。ゆえに、「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」という言説にはもろ手を挙げて、というわけにはいかない。好きという感情は対象が何であるかは別としてその「好き」そのものに価値があると思っている。「嫌い」の方が「選択」の色が濃い。だから「好き」「嫌い」という対義な関係ではあるが、それらがまとう意匠にはいささか世界観の違いがある。


だが、例えば同年代でジャックスを聴いて育ちました―あるいはサニーデイ・サービスでもPavementでもよいのだが、そういう人がいた場合僕はその人を無条件で肯定してしまうだろうと思う。初期ベルセバが好きです、と言われただけでいい人そうに見えてしまうのと同じだ。その辺がなぜなのかというのは、珍しくあまり考えたくないなと思う。仮に僕が音楽の力を感じるとすればそういう時なのかもしれない。思考の放棄。最後のひと匙をマジカルな瞬間に投げてしまうこと。音楽は世界を変えはしないからこそ。