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Wowee Zowee !

わーうぃーぞーうぃー!

夏の一部始終 / Lantern Parade

音楽 BEST DISC

夏の一部始終夏の一部始終
LANTERN PARADE

ROSE RECORDS 2011-11-21
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平易な言葉で紡がれる、どうしようもない日々と「それでも」。そう、僕の思想と日常の根底には、いつだって「否定からのそれでも」がある。


主人公たちはみな、冷やかな視座を世間に投げかける。いや、冷やかなんかじゃない。僕はこれこそ温かみのある正しい視座だと考える。誰のうちにもある嘘や欺瞞、そしてそれに絶望する誰か。現実と限界を見極める日々。そしてそんな人生にも絶望する誰か。この音楽は、その絶望でさえも響きのいい言葉に酔いしれているだけだと断罪する。そう、僕らはぼろぼろの傘をさしながら、息苦しい愛の歌の間を行くしかないのだ。むしろぼろぼろだからだろう、「雨に濡れてたたずむしかない」。それでも彼は「泣きながらでも 歩くしかない」と呟く。嗚呼、否定からのそれでも。正しいライフイズビューティフルはかくあるべきだ。


冒頭「木の葉散る」から素晴らしい。
「『あの頃に戻りたい / 出来ることなら』と / 彼女がつぶやく / 『今なら何が幸せであるかを分かっているのに』と」
「切ない運命の人でも / 本当は惨めじゃないのか / 前向きな言葉を紡いだけど / それはただ / ついてただけなのか / 何が起こるのか分からないし / 何も起こらないかもしれないし / 信じれば叶えてくれる / 都合のいい神様なんている訳ないだろ」

このアイロニー。字面こそ平易であるが、ここで紡がれた言葉は互いに共鳴し合いながら乱反射し、いくつもの景色を映し出す。その世界構築のために、パーカッションを中心とした最低限の音像だけが適切に、かつ高度な計算のもとに配置されている。


応援歌とか共感とか、そういうものを敵視し始めてもう何年経つだろうとふと考える。それは必要とされる感覚なのだろうと、今では理解しているが正しくはないとずっと信じていた。10代を「黒歴史」とか言いながら否定する連中のことを僕は心底嫌っているが、僕のその感覚はたぶん、正しくないという思いと本質的な部分においては意匠をともにしているのだろう。僕の10代は愚かであったが、嫌ったものと美しさを見出したものはどこまでも正しかったのだ。なぜなら、すでに死んだ僕が選んだ全てが今この瞬間の僕を生かし、明日の僕を殺し、あてもない回収の日々に向かわせるのだから。


「変わりようのない目線がそこに / これからもずっとこのままだろう / 過ぎ去ってしまえば無かったことと同じ / いや、そうではないと思いたい / 夢が見れない / 今やれることをただやるだけ / 夢が見れない / 今やるべきことをただやるだけ」表題曲のこの一節からは、瞬間に生きることということの裏を見せられてハッとした。そうして僕の思考とオブセッションはまたひとつ深いところへ迷い込むのである。


とにかく、である。こんなむごたらしい優しさにつつまれた音源は、2011年にはこの作品以外存在しなかったのだ。


この年僕は人生最初で最大の挫折を味わった。そして奇しくもそれは、自らの手に人生を取り戻したことをも意味していた。そう、「泣きながらでも 歩くしかない」のだ。そして、がれきの上で、放射能に抱かれながら、僕らは行くしかない。飼いならすことのできない悲しみと飼いならすことのできる哀しみとを携えながら。


でも大丈夫だと思った。世の中にノーを突きつけたうえで明確にそれでもを宣言するこの音がそばにあるのなら。


「君の涙が 枯れてしまったあと 励ませるような歌が歌えたら」
枯れるまでは、あなた方は泣いていいのだ。


「なるべく悲しみたくないし / なるべく悲しませたくないものだよ」
このなるべく、という距離感の素晴らしさよ。お分かりいただけるだろうか。


「今来た道を戻るしかない」
そう、僕の後ろにしか道はないのだ。さあ、行こう。