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東京 / サニーデイ・サービス

東京東京
サニーデイ・サービス

ミディ 1996-02-21
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ようやく最近復権の兆しを見せてきた「君が恥ずかしくないように隣にありたい」が最もピークだった季節、それを作ったのはこのアルバムだったのだろうと思う。かっこつけることが悪であるかのような風潮が蔓延していたように見えていたあの頃、他でもない「君」のためにかっこよくあろうとするその心意気こそ、粋で素敵だと思った。その頃からだろうか、「恋人たちの風景」が好きになったのは。恋人は、彼あるいは彼女の前でこそ最高に素敵であろうとする―その光景が美しくないはずがない。


「歩き疲れたらそこの珈琲屋で休むふりして他の女の子見るんだ」(真っ赤な太陽)
 
その後僕は現代の邦バンドには長年「キザさ」を求め続けた。二枚目を地で行っても許されるような、そんな大ボラ吹きを。FoZZtoneがそのアンテナに捕捉され、「暮らそうよ」で

暮らすのは繰り返しの様だが 廻れど何一つ同じではない朝へ
暮らすのは気が気じゃないのさ ウチのオフィスにイイ子が入ったのは 君にオフレコな話

というラインを生み出した時に僕の旅は終わった。美しい女性に心が奪われそうだから一番好きな君と暮らしたい。これこそ正しいアイラヴユーだと思った。それは「真っ赤な太陽」のあのラインと共鳴するものである。永遠はないんだ。今よりよいと思われる世界がそこかしこに広がっているんだ。でもそれが感じられるのは、大好きな君がいるからなんだ…からからからまわりの恋人たちほど実は強固でビューティフルなものはないだろう。


96年リリースのこの作品がその後のサニーデイを決定づけた1枚であることには異論はない。アートワーク含め完璧だ。
だが、歴史的な1枚だなんて大仰な冠がつくことにはどこかおさまりの悪さを覚える。それは恐らく、私小説めいたその世界観によるところが大きいのかもしれない。だがこれは、特定の個人の記憶と記録ではない。サニーデイ・サービスは、「誰にでもあるはずの、他の誰かの映像的記憶と心情の移ろい」を表現してみせたのだ。「青春狂騒曲」における「そっちはどうだい うまくやってるかい こっちはこうさ どうにもならんよ 今んとこはまあ そんな感じなんだ」がタフな現実の描写として色あせるどころかその切実さを増しているということと併せて、そういう意味ではより多くの人に聴かれてしかるべき作品だということは言えるだろう。そしてそれ以上に、僕の人生のサウンドトラックであるということも、やはり記しておきたい。そう、何度でも。